向理来 インタビュー連載 vol.1

 目が離せなくなるほど、端正な横顔。彼から耳元で、「きもちいいところで動かして……? ん……はぁ……んふぅ……」なんて囁かれたら、誰だって全身の血が濁流のように巡ってしまうはず。

向理来。職業、エロメン。

そんな肩書きが、彼ほどハマる男性はいないのではないかと思わされるが、ただかっこいいだけじゃない。エロいだけじゃない。知れば知るほど沼にハマる、向理来のロマネクスな半生。

 性の芽生えは、いたって健康優良児然。
「幼稚園か小学校低学年くらいのとき、お風呂上がりでリラックスした状態でした。ふと、母の嫁入り道具の姿見の前に全裸で立ち、ちんちんを触っていると……」
「かたくなってる! ちんちんおっきくなってる! ほんのりきもちいい!」

 初めて覚えるむず痒い快感に気づいた、向少年。それからも、いたずらは続いた。
「ゲーム『ゼルダの伝説』で、ある地域に行くと、岩が降ってきてコントローラーが振動する仕様になっているんです。で、コントローラーをちんちんに押し当てて、これはいいな、と。ちんちんを気持ちよくするために、毎回ゼルダをその地域に行かせていました」

 なんとも微笑ましい好奇心。だが、小学4年生の頃に、自宅にパソコンが導入されたことが、向を微笑ましさから遠ざけるのだった。もし筆者が母親なら、「ベーシックにおっぱいでオナニーしてくれればいいのに、どうして、うちの子は……!」と、嘆いただろう。

まずは中学生で、ネットゲームの世界に足を踏み入れてしまう。

「1日16時間ほどネトゲをぶっ続けていました。課金よりも、どれだけ時間をかけるかが強さと比例したので、やり続けないといけなかったんですよ。それで強くなった僕は、大手グループに属してちょっとした有名人になりました。そうなると、ずっとゲームにいないと下の奴らに示しがつかないじゃないですか」

 中学校は「ネトゲで忙しくて行けなかった」と、涼しげな表情で振り返る。

「当時、両親が別居していて、僕は父親の家にいた時期でして。父親は放任主義といいますか、自立を促すスタンスで『自分のことは全部自分でやってみろ』と」

 結果、向はネトゲに没入し、さらに、友人の7歳年上の姉の家に入り浸るようになる。
「彼女には手コキをされました。いたずらみたいな感じで、されるがままでしたね」

 無事中学を卒業し高校に進学するが、やはり学校よりも夢中になれる場所を、パソコンに見つけてしまう。

「今で言う“配信者”みたいなものなんですが、当時はエロ音声をアップロードする掲示板や、2ちゃんねるのVIP板でラジオ配信をするのが流行っていたんです。聞いているうちに、僕も配信するようになりました」

 アナルにフリスクを入れる遊びが流行れば、「需要があるのか!」と捉えてチャレンジし、さらに綿棒やチュッパチャップスを挿入し、その際のアエギ声を配信した。
「あるとき、どうやら前立腺というものが気持ちいいぞということを聞きつけまして。アナルに指を入れてみましたが、まったく気持ちよくないんですよ。独学で徹底的に勉強して努力して、半年後にやっと気持ちよくなりました。あの頃の僕は、熱心でしたね」

 遠い目で述懐する向は当時、人知れず作家を目指していた。幼少期からの夢を叶えるべく、「就職したら書く時間がないから」と、求人情報を調べて労働時間の短い就職先を探した。
「いろいろな求人を見ると、『ホストって労働時間が短いのか。これなら書く時間があるぞ』ということに気づきました。それで19歳頃にホストになるんですが、そんなわけなかった……」

 ホストは、時間をかけないと稼げない仕事だと、早々に気づいた。ホストとして芽が出ぬまま働くうちに、AVプロダクション勤務の客から、ある誘いを受ける。
「ボーイズ着エロってジャンルがあるんだけど、やってみない?」

 時はホストブーム全盛期。向の所属店もホストらのアイドルグループを結成していたため、店側は揺れ動く向に迫った。

「うちで働き続けるのか。それとも脱ぐのか。どっちか選べ」

 兼業は許されなかった。向は「着エロ1回10万円」のパワーワードに惹かれ、あっさり「脱ぎます」と言い、ホストを去ることとなった。

「着エロ撮影の撮影は楽しくて好きでした。メイクして綺麗になれて、ご飯もタダで食べられるし、射精までできるんですから。一応“イメージビデオ”のくくりなので、モザイクはかからず、際どいギリギリ路線が着エロの特徴。いっそキンタマが見えているくらいの時期もありましたねえ。出せば売れる時代でしたし、僕への評価と売り上げが直結していたので、やりがいもありました」

 充実した着エロアイドル生活は、突然終わりを迎えた。AV女優が多数所属する事務所で、唯一“男性グラビアアイドル”として身を置く向を、女優陣が放っておけるはずもなかったのだ。

「ボーイズ着エロの仕事は頻繁にあるわけではないので、事務所のスタッフとしての業務もやっていました。そのひとつが、事務所が運営するライブチャットルームの管理。時間問わず女の子が出入りしてライブチャットをする部屋です。そこで、深夜にいた女の子に誘われるがままホイホイついていって……」

「事務所の大切な女優に手を出した」とあって、向はスタッフから激怒された。だがまだ若く業界のしがらみについて無知だった向は「怒られてる意味がわからなかった」といい、もう一度同じことを繰り返し、事務所を辞めるはめに。その前後は、お天道様とは無縁な職を転々とした。BLバー、メイド喫茶の店長、またホストになり、ヒモ、ウリ専ーー。

「パパ活もやっていました。ウリ専で知り合った客と月1、2回会い食事してホテルに行く。3万円分のその時間は、楽しくはないけれど、イヤだとも思わないというか、ただただ“無”でしたね。勃起はしなかったけど、お尻は自分で開発済みで気持ちよかった。立場のある方と食事の食事中の会話は、学びもあって楽しかったですね」

当時、20代前半。濃密な人生経験が加速したのは、19歳で童貞を喪失してから。

「高校卒業後に一人暮らしするようになってから、手コキしてくれたお姉さんが遊びに来るようになって、彼女が初めての相手です」

 中学生の向を翻弄した、あの“手コキのお姉さん”が、原点回帰とばかりに現れたのである。これだけの端麗な容姿とは反比例する、奥ゆかしき初体験。“ウテウテのヤリチン”にならなかった理由は、「ほかに知り合いがいなかったから」と、実にシンプルだ。

「いま振り返れば、たとえば学校の文化祭で簡単に連絡先を交換できたなあ、という思い出はあるけど、行為に至るまでのテクニックが皆無でした。あと、居酒屋でバイトをしていたときも女の子からのお誘いは多かったんですが、近場はダメだと悟ったんです。いつの間にかみんなに知れ渡っちゃうし、デート姿を見られたりするし」

 向の童貞喪失を担った”手コキのお姉さん”は、当時風俗店に勤務していた。ご飯を食べさせてくれ、食事代のお釣りを必ずくれた。
「毎回ご馳走になってお小遣いをくれていたので、僕も感謝の気持ちとして、誕生日プレゼントをあげました。なんと、500円の髪留め(笑)。でも僕は、ほくほく満足していました」

 二度目のホストを辞めたあと、本格的にヒモとなる片鱗が、この頃に芽生えたのかもしれない。
「ホズト時代のお客さんのヒモをしていました。彼女は独占欲が強く、僕の携帯を解約し、SNSのアカウントをすべて消去させました」

 あるとき、10代の頃から癖になっている脱臼の手術で全身麻酔をするため、医師から家族の同意を求められた。何年も音信不通だった家族を探すべく、姉のフェイスブックを探したほか、昔の職場に連絡するなどし、ついに姉を探し当てたのだ。
「いまあんたなにしてるの?」
「ヒモだよ」
「そっか。わたしは子どもが生まれて、お父さんは死んだよ」

 あまりにも開きすぎた家族との時間軸。打ちのめされた向は、「いいかげん、真面目に働こう」と決意したのだ。実家に戻り、これまでの職歴とは打って変わった、ガソリンスタンドを再出発の場に選んだ。
「自分を罰する気持ちもあったんです。あえて『やりたくない仕事をしよう』と思って。ガソリンスタンドは真夏は暑いし冬は寒いし、うってつけだなと思ったんです。1年くらい働いて辞めようと思いました」

 しかし、環境の激変はあまりにも過酷な罰だった。すぐに「普通の仕事は無理」と判断して辞め、次の職場を探すことに。
「ふと、AVを見たときに『男優もいいな』と思い、検索して汁男優に応募したんです。でも、遅漏だしあまり自信がなくて。だから並行して友達に相談したら、『向なら汁男優よりシルクラボがいいんじゃない? 応募してみれば?』と勧められ、女性向けAVの存在も知りました」

 これなら、着エロ時代と似ているかもしれないーー。

 撮影の楽しい思い出が蘇り、着エロ時代のDVDパッケージ写真と顔写真を添え、応募した。「絶対に受かるだろうなと思った」という確信は、見事的中した。

 巡り巡って、ようやく、エロメン・向理来が誕生したのだった。

アナル用バイブの購入はこちら→https://store.feel.pink/products/detail/15696

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です